問題社員43 賃金減額に同意したのに賃金減額は無効だと主張する。

1 社員との合意による賃金減額

 労働契約法8条は、「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる。」と規定しており、賃金減額のような労働条件の不利益変更は、社員との合意により行うのが原則となります。
 ただし、個別合意により、労働協約や就業規則で定める基準に達しない水準に賃金を減額することはできません。また、賃金減額の同意の存在を立証できなかったり、同意に瑕疵があったりした場合は、同意の効力が否定されることになります。

2 個別合意と労働協約で定める労働条件の関係

 労組法16条は、「労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は、無効とする。この場合において無効となった部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部分についても、同様とする。」と規定しており、労働協約で賃金額について具体的に定められている場合は、個別の組合員との間で、労働協約よりも低い水準に賃金を減額する旨の個別同意を取ったとしても、賃金減額は無効となります。
 労働協約の効力が及ぶのは、原則として労働協約を締結した労働組合の労働組合員に限られることになりますが、労働協約には、労組法17条により、一の工場事業場の4分の3以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至ったときは、当該工場事業場に使用されている他の同種労働者に対しても労働協約の規範的効力が及ぶ旨の一般的拘束力が認められています。労組法17条の要件を満たす場合には、未組織の同種労働者に対しても労働協約の効力が及びますので、労働協約よりも低い水準に賃金を減額する旨の同意を取ったとしても、賃金減額は無効となります。
 したがって、労働協約の効力が及ぶ社員との間で、労働協約よりも低い水準に賃金を減額する場合は、労働組合との間で賃金減額を合意し、労働協約を改定するなどする必要があります。

3 個別合意と就業規則で定める労働条件の関係

 労契法12条は、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする。この場合において、無効となった部分は、就業規則で定める基準による。」と規定しており、就業規則で賃金額について具体的に定められている場合は、就業規則よりも低い水準に賃金を減額する旨の個別同意を取ったとしても、賃金減額は無効となります。
 したがって、就業規則で定める賃金よりも低い水準に賃金を減額する場合は、就業規則を変更する必要があります。
 就業規則変更により賃金を減額する場合は、就業規則の不利益変更に該当するため、就業規則の変更が有効となるためには、以下のいずれかの場合である必要があります。
 ① 労働者と合意して就業規則を変更したとき(労契法9条反対解釈)
 ② 変更後の就業規則を周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるとき(労契法10条)
 ①に関し、「就業規則の不利益変更は、それに同意した労働者には同法9条によって拘束力が及び、反対した労働者には同法10条によって拘束力が及ぶものとすることを同法は想定し、そして上記の趣旨からして、同法9条の合意があった場合、合理性や周知性は就業規則の変更の要件とはならないと解される。」(協愛事件大阪高裁平成22年3月18日判決)との見解が妥当と思われますが、労働者の同意があれば合理性や周知性は就業規則の変更の要件とはならないとの見解に立ったとしても、合意の認定は慎重になされるのが通常のため、労働者が就業規則の変更を提示されて異議を述べなかったといったことだけでは不十分であり、最低限、書面による同意を取る必要があります。また、合理性に乏しい就業規則の規定の変更については、書面による同意を取ったとしても、労働者の同意があったとは認定されないリスクが高いものと思われます。
 ②に関し、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずることになります(大曲市農協事件最高裁昭和63年2月16日第三小法廷判決)。

4 賃金減額に対する同意の存否

 賃金減額に対する同意があったことを立証できるようにするため、「書面」で同意を取っておくべきです。退職(を決意)したり、紛争が表面化したりした後に個別同意を取るのは難易度が高いですが、在職中の労働者から個別同意を取り付けるのは難易度が低いことが多い印象があります。
 書面による同意がない事案においては、口頭では社員の同意を得ていたとか、賃金を減額する旨口頭で説明しており、社員も減額後の賃金を異議ととどめることなく受領していたから、賃金減額に対する黙示の同意があるなどと主張することになりますが、賃金減額に対する同意があったと認定してもらえるかの予測可能性が低く、賃金減額に対する個別同意の存在を認めるに足りる証拠はないとして、賃金減額が認められないリスクが高いものと思われます。

5 既発生(過去)の賃金債権の減額に対する同意の有効性

 既発生(過去)の賃金債権の減額に対する同意は、既発生の賃金債権の一部を放棄することにほかならないため、それが有効であるというためには、それが労働者の自由な意思に基づいてされたものであることが明確である必要があります(シンガーソーイングメシーン事件最高裁昭和48年1月19日第二小法廷判決、北海道国際空港事件最高裁平成15年12月18日第一小法廷判決参照)。
 したがって、既発生(過去)の賃金債権の減額に対する同意の意思表示は明確なものでなければならず、社員の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したということができなければ、その効力が否定されることになります。

6 未発生(将来)の賃金債権の減額に対する同意の有効性

 未発生(将来)の賃金債権の減額に対する同意についても「賃金債権の放棄と同視すべきものである」とする下級審裁判例もあります。したがって、事前の対応としては、社員の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したといえるよう配慮した方が無難とはいえると思います。
 もっとも、未発生(将来)の賃金債権の減額に対する同意は、労働者と使用者が合意により将来の賃金額を変更したに過ぎず、賃金債権の放棄と同視することはできないのですから、通常の同意で足りると考えるべきであり、それが労働者の自由な意思に基づいてなされたものであることが明確であることまでは要件とされないものと考えるべきです。
 北海道国際空港事件最高裁平成15年12月18日第一小法廷判決が、「原審は、上告人が平成13年7月25日に減額された賃金を受け取り、その後同年11月まで異議を述べずに減額された賃金を受け取っていた事実によれば、同年7月1日にさかのぼって賃金が減額されることも、上告人はやむを得ないものとしてこれに応じたものと認めることができると認定した。すなわち、原審は、上告人が平成13年7月25日に同月1日以降の賃金減額に対する同意の意思表示をしたと認定したのであるが、この意思表示には、同月1日から24日までの既発生の賃金債権のうちその20%相当額を放棄する趣旨と、同月25日以降に発生する賃金債権を上記のとおり減額することに同意する趣旨が含まれることになる。しかしながら、上記のような同意の意思表示は、後者の同月25日以降の減額についてのみ効力を有し、前者の既発生の賃金債権を放棄する効力は有しないものと解するのが相当である。」と判示し、未発生の賃金債権の減額に対する同意の意思表示の効力を肯定しているのは、既発生の賃金債権の減額(放棄)に対する同意の意思表示の効力を肯定するための要件と未発生の賃金債権の減額に対する同意の意思表示の効力を肯定するための要件を明確に区別し、未発生の賃金債権の減額に対する同意の意思表示の効力を肯定するための要件としては、それが労働者の自由な意思に基づいてなされたものであることが明確でなければならないことを要求していないからであると考えられます。
 もっとも、山梨県民信用組合事件最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決が「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」としていますので、就業規則で定められている賃金の減額に対する労働者の同意の効力を肯定するためには、未発生の賃金債権の減額に対する同意であっても、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する必要があるものと考えられます。

7 錯誤無効・強迫取消等

 賃金減額に対する同意に関する意思表示に瑕疵がある場合には、錯誤無効・強迫取消等が認められる可能性があります。

8 各論

(1) 定期昇給凍結
 労働協約や就業規則に一定額・割合以上の定期昇給を行う義務が定められている場合に定期昇給を凍結するためには、個別同意だけでは足りず、労働協約や就業規則において、定期昇給を凍結する旨定める必要があります。
 労働協約や就業規則に一定額・割合以上の定期昇給を行う義務が定められておらず、使用者に定期昇給の努力義務が課せられているに過ぎない場合は、定期昇給をしなくても法的問題はありません。
(2) ベースアップ凍結
 ベースアップは労使交渉により特段の決定がなされない限り行う必要はありません。
(3) 賞与減額
 労働協約、就業規則、個別労働契約で具体的な額・割合の賞与を支給する義務が定められていない場合には、賞与請求権は具体的権利とはいえないため、従来よりも低い金額を支給しても問題ありません。
 他方、労働協約や就業規則で具体的な額・割合の賞与を支給する義務が定められている場合に賞与を減額するためには、個別同意では足りず、労働協約や就業規則の変更が必要となります。 労働協約や就業規則で具体的な額・割合の賞与を支給する義務が定められておらず、個別労働契約でのみ定められている場合は、個別同意により賞与を減額することができます。
(4) 諸手当の減額
 労働協約や賃金規程で具体的金額が定められた諸手当を減額する場合は、個別同意だけでは足りず、労働協約や賃金規程の変更が必要となります。 労働協約や賃金規程で具体的金額が定められていない場合は、個別同意により諸手当を減額することができます。
(5) 年俸額の引下げ
 労働協約や就業規則に特段の定めがない限り、年俸制社員の同意があれば、年俸額を減額させることができます。
 次年度の年俸額の減額については有効性が認められやすいですが、年度途中の年俸額減額は、いったん合意した賃金額を減額するものであるため、次年度の年俸額の減額と比較して、合意の有効性が慎重に判断されるものと思われます。
(6) 休業時の賃金カット
 会社の業績が悪いこと等を理由とした休業がなされた場合は、通常は使用者の責めに帰すべき事由があると言わざるを得ないため、平均賃金の60%以上の休業手当を支払う必要があります(労基法26条)。休業手当の支払義務は、個別合意により排除することはできないため(労契法13条)、不支給とすることについて社員の同意があったとしても、平均賃金の60%以上の休業手当を支払う必要があります。
 民法536条2項は民法上の任意規定であり、特約で排除することもできるため、休業期間中は平均賃金の60%の休業手当のみを支払う旨明確に合意しておけば、労働協約や就業規則に反しない限り、理論的にはこれを超える賃金を支払う義務はありません。ただし、裁判所は、民法536条2項の適用除外について慎重に判断する傾向にあります。単に、労基法26条に規定する休業手当について定めたものではなく、民法536条2項の「債権者の責めに帰すべき事由」による労務提供の受領拒絶がある場合の賃金額について定めたものであることを明確にしておく必要があります。

弁護士法人四谷麹町法律事務所
代表弁護士 藤田 進太郎

 


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